> 歴史を知る。


佐渡にはかつて200以上の能舞台が存在し、現在でも30余り残っています。
佐渡は能楽が暮らしの中に溶け込む全国でも大変珍しい土地で、市井の人々が能楽を観るだけでなく、自らも舞い、謡うことが大きな特徴です。

では、なぜこのように能楽が根付いたのでしょうか。

■世阿弥と佐渡島

室町時代、能の大成者である世阿弥が佐渡に流されました。

1434年、72歳頃の世阿弥は「大田の浦」(現在の松ヶ崎)に着岸し、その後の日々を『金島書』に綴りました。
彼の存在が、能楽が佐渡で根付くきっかけとなりました。

■世阿弥の足跡

世阿弥は、大田の浦から笠取峠を越えて配所に向かいました。
(その道は現在、ハイキングコースとして整備され、歴史に思いを馳せながら歩くことができます)

配所に向かう途中で「長谷寺」に立ち寄り、その後「万福寺」に到着しました。
しかし、近くで合戦が起きたため、配所を「正法寺」へと移しました。

「正法寺」には、世阿弥のお腰掛け石や、世阿弥が雨乞いの舞に使ったと伝わる県内最古の面「神事面べしみ」が残されています。

■大久保長安と能楽の普及

能楽が本格的に広まったのは江戸時代で、佐渡が幕府の天領となり、初代佐渡奉行として派遣された大久保長安の影響が大きいとされています。

大久保長安は能楽師の息子であり、佐渡赴任にあたり、能楽師を同伴しました。

そして佐渡各地の神社に能を奉納し、武士だけではなく庶民にも広く能を開放しました。

■春日神社と能楽の発祥地

大久保長安により、1605年に相川春日崎に「春日神社」が建てられ、1645年には佐渡で初めてとなる神事能が奉納されたことで、春日神社は佐渡における能の発祥地ともされています。

初めは奉行所の役人たちの教養として取り入れられた能楽でしたが、次第に神社に奉納する神事能として、金山のある相川地区から、平野の国中地区へ、そして島内各地へと広がっていきました。

その名残として、現存する30余りの能舞台の多くは神社の境内に建てられています。
たとえば、由緒を誇る「国仲四所の御能場」といわれた大膳神社牛尾神社加茂神社・若一王子神社もすべて神社です。

このような歴史的背景が、佐渡にこれほどまでに能楽が根付いた理由となっています。
今なお受け継がれている佐渡の能楽は、毎年4月の演能を皮切りに、10月まで島内各地の能舞台でその幽玄の世界を楽しむことができます。

佐渡と能楽の歴史は、今もなお、つながっているのです。

主催:公益社団法人能楽協会、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁
委託:令和5年度日本博 2.0 事業(委託型)

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